クリニックについて
当透析センターの設立
当透析センターは平成8年4月豊橋市に開設されました。
豊橋駅の新幹線口より徒歩にて約10分の所に位置しています。8階建ての茶色の外壁の建物の6階および7階の一部を占めています。1階から5階までが同じ医療法人明陽会の老人保健施設明陽苑と訪問看護ステーション明陽苑、明陽苑ケアセンター、明陽苑地域包括支援センターとなっています。
施設の規模とロケーション
当院の透析ベッド数は148床あります。ひとつのフロアーにこれほどの規模を有する透析センターは全国でも数少ないと思われます。12ベッドを1チームとしてチームが横に並んだ96床の第1透析室に加えて平成14年に27床を新設、平成24年5月に25床を増設した第2透析室があります。この6階の透析室の天井は他の階と比べて高く、またベッドの間のスペースも広くとってあり、柱もベッドが影にならないようにと建築の設計段階から配慮がされてあります。南の一面は広く窓がとってあり、周囲にさえぎるものはなく、遠くには三河湾の水平線を望むことができ広く豊橋を眺められます。このため昼間の透析室には明るい光が入っています。
診療日
当クリニックに通院する維持血液透析患者様は、20歳代から90歳代まで幅広く治療され、月・水・金曜日は昼間1クール、火・木・土曜日は昼間1クール(一部2クール)と夜間透析を行っております。また慢性腎臓病(CKD)治療を中心とした一般外来診療も行っています。
明陽クリニックのあゆみ
当クリニックの前身は、豊橋駅の新幹線口のすぐ近くに位置する同じ医療法人明陽会総合成田記念病院透析室です。三河地区では先がけて昭和44年より当時の成田記念病院に透析室が開設されました。先代の理事長成田眞康先生や元名古屋大学大幸医療センター内科教授前田憲志先生などにより当時の透析室の充実が図られ、愛知県三河地区を中心とした広い地域(豊橋、豊川、田原、新城、二川、湖西等)の腎臓病の患者様の紹介を受けて治療にあたってきております。
平成8年4月に当クリニックが開設されると、成田記念病院透析室に通院していたすべての外来通院の患者様が、当クリニックへ移りました。そして外来通院は明陽クリニックで、透析導入と入院による透析はこれまでどおり総合成田記念病院透析室で行うという役割分担になりました。これまでは入院と通院の患者様が隣どうしのベッドで血液透析をうけられていましたが、当クリニックへ移って、よりおちついた通院透析ができるようになりました。CAPD外来は従来どおり総合成田記念病院で行われています。
このような経緯から明陽クリニックと成田記念病院とは密接な関係にあるため、当クリニックの血液透析患者様の合併症については、成田記念病院の各診療科が入院も含めてすみやかに対応して下さっております。シャントトラブルに対しては血管外科の専門の先生に対応していただきます。また整形外科的疾患、循環器科的疾患等も含め て血液透析という合併症をかかえた難しい諸疾患に対して各科の医師、看護師が積極的に治療、看護にあたって下さっております。
現在の取り組み
新型インフルエンザが発生後、以前より感染対策が重要視され透析患者さんにおいては時間的空間的隔離による透析治療が強られてきました。
今回の増築工事の際、感染症対策の一つとして隔離室を増設しました。
インフルエンザやノロウイルスなど一時的隔離が必要となる透析患者様に早期診断、早期治療が得られるようになりました。
医療法人『明陽会』の名前の由来は、初代院長成田竹蔵先生が米国の有名な総合病院「メイヨークリニック」からとられたそうです。しかし当時、同じ発音の透析施設で豊橋にできるとは想像されていなかったようです。全く同じ名前を冠した明陽クリニックは、名前負けしないように、これからも本家(あちらは本家とも思っていないでしょうが・・・・)を一方的に意識しつつ、スタッフ一同協力して患者様の診療、看護にあたっていきたいと考えております。